結論からいいますと、私はあると思っています☝
今から14年前くらいに前の話になりますが、私は脳卒中で生死をさまよったことがあります。
その蘇ったときから始めた「祈り」のおかげで今私は何の障害もなく14年目を迎え元気に過ごしています。
確かに当時の私は倒れた時に病院に運ばれましたが、何カ所か病院の受け入れを断られて(脳の血管が破裂して経過2日くらい経ってたからなのか)助からない状態にあってと聞いています。
しかし何とか命を持ちこたえて、命は助かりましたが1週間近く植物人間を経験し、奇跡的にICU(集中治療室)から抜け出すことが出来ました。その時はまだ動ける状態ではなく、視界もぼやけててご飯もろくに食べられなかったです💦
さらには医者からも
- 失明
- 言語障害
- 下半身不随
- 一種の記憶喪失
は免れません。と言われたことが衝撃的であったことを覚えています。
でも本当に不思議な事に、人間の可能性とはすごいんです。
私の身体は動かないと言われてましたが、死にかけて入院からわずか2~3週間あたりで退院しました。
リハビリなんかも長くて2年くらいかかることを3日で終わらせましたし、今考えても何で出来たんだろう?と不思議な感覚でありますし、説明も出来ない状態ではありますが
1つだけいえる事は
【医者の言ってる事は統計的なことで、絶対という事は無い】ということです。
例えば余命、癌の治療法とかも私に言わせれば絶対ではないという事です☝
医者を信じるなという事ではありませんので、勘違いはしないでくださいね!
余命やがん宣告を受けた場合、個人的には身体が動くのであれば治療方法を見直し、自分が決めるべき方向性を大切にしてほしいと思っています。(後悔しない為に)
私の場合
余命宣告➡「燃え尽きる期間と逆算してやりたい事をやり遂げるです!」
がん宣告➡「身体がしんどくなければ、放射線治療は一切やらないで、痛みに耐えるための治療のみでやりたい事を命尽きるまでやります!」
運命が決まってれば、私はその運命を受け入れて、全うするだけの話(自分物語)だと思っております。なので妙な延命方法とかは私は無意味だと考えてます。
それでこそ人生だと思う訳ですし、敷かれた運命なら尚更ですよね?
人生史上一番大切なのは、【この世に生をうけ、どう人生を楽しんだか?】が重要だと最近はつくづく考えるようになりました(因みにまだ40歳の半人前ですがw)
なので、私は命を再び起こして頂きましたのでこれからの生き様と日々の暮らしに感謝して『祈り』を毎日四六時中、欠かさず行ってるんです☝
その行為は自己満足かも知れませんが、明らかに私の暮らしは守られてるように感じざる得ない体験や実情が多々あります。(私は宗教者ではありませんので勧誘などは勘弁してください)
人生色んなことがおこりますが、普段行動に起こさない人程、私は祈ってほしいと伝えたいです🤔
半信半疑でも、祈り方などこだわらず両手を合わせ、海や空、物、何でも良いんです皆さんが何を見えない世界に伝えたいのか?
何のために祈ってるのか?
そこがキーポイントであり、物事が好転するまで継続的に続けて行く心と忍耐が人間には必要だとおもいますので、この記事をご覧になられた人たちは「こういう考えもあるのか?」と少しでも共感して頂ければ幸いです✨
明日も朝一で、いつも通り私は家の拝所に手を添えて行動します。
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